舌を巻く

高校生のころの自分が書いた作文を見付けた。一読して意味がわからなかった。しばらくすると意味がわかった。難し過ぎ。

そのまま載せてしまおう。

自身の事である割に堅い「わたし」の叙述。けれども濃い比喩が交ざるのは海に開いた口に似ている。堅い文体は「わたし」が夏が堅い残骸になってしまうのを望む態度を反映している。ときおり交じる比喩は堅い態度のほころびを隠した余剰の発現だろう。ほころびはそうKとの関係にもある。堅く組み上がったシンメトリーの帝国はKにより妹により徐々に崩され、ついには消えてしまった。

という内容と形態の平行関係の実践である。

今ならこうは書かないなぁ、と思えて、一安心。少しは成長している。

上の句をつけてください

上の句とは、短歌の「五七五七七」の「五七五」のことです。

「どれみふぁそらしどれみふぁそらし」

に上の句を付けてください。と言ってみる。

謎の行動

最近、

一泊して漁港に行っていかいか丼を食べて帰って来たり(4日前)、

らーめんを食べにいった先で、知り合いを含む10人以上の集団にばったり出会い、そのままみんなで泊まったり(2日前)、

駒場野公園のベンチで代数幾何の本を抱えておひるねしていたり(10分前)、

なにかと謎の多い生活をしている。

日本語の謎

比較的うすいことを、「うすめ」という。形容詞「うすい」の語幹「うす」に「め」が付いている。しかし、比較的濃いことを、「こめ」とは言わない。「こいめ」と言う。語幹に「め」を付けた表現が認められる条件は何か。

仮説。語幹に「!」を付けた表現が認められることが、語幹に「め」を付けた表現が認められる必要十分条件である。「うす!」と言えば意味が通じるが、「こ!」と言ったら意味が分からない。

この仮説に従って考える。形容詞「ぴらい」の存在を認めよう。「ぴら!」という表現と「ぴらめ」という表現は、両方認められるかどちらも認められないか、いずれかでなくてはならない。

おにょ

はてなに数理の翼というキーワードを作ってしばらく放置していたら、極めて適切な説明をだれかが書いてくれた。

むかし、初期のwikipediaでも同じようなことをしたなぁ。「水」という項目が存在しなかったので作ったら、見事に成長してくれた。嬉しい。同じ頃、「かき氷」の定義としていちごシロップがかかっていることを書いたら、否定されてしまった。あたりまえか。

1年たったらしい

カレンダーめいたものを設置してみて気付いた。はてなに書き始めてから1年過ぎたらしい。

得したかも

QBハウスに行って髪を刈ってもらった。ふだんよりずっと丁寧にカットされた。よくよく考えると、前回美容院でしてもらったカットが残っていたせいで、QBハウスのさかがきさんのやる気に火がついたのかも知れない。ま、とにかく、さかがきさんありがと~

がんじがらめ

どこそこは読めるが書き込むことはできない、とか、仲間の紹介がないと仲間になれない、とか。現代のネットも、平安貴族達の暮らした空間も、似たようなものかも知れない。