昼夜が逆転しつつある

人間生活から離れていく~。実家暮らしをしているのに、生活リズムにこんなに可塑性があるとは意外だ。

Non-Puits もくじデータベース

Non-Puitsのもくじデータベースを公開できた。いろんなひとがまとまって作ってくれた。

http://www.yugen.org/mokujiro/nonpuits/ まぁ、同窓会の会誌なので、外の人にはあまり関係ないかも知れないのだが、もくじだけなら、誰でも見られる。

立花隆ゼミ続報

まだ、いろんなところを探りまわっている段階で、記事らしい記事もできていない。http://tsemi2.jugem.jp/

C言語の課題

配列によらずにスタックを実装。という。うーん。

  • リストを使う
    • Knuth: The Art of Computer Programming を参照すると、つかわなくなった(data, link)をどっかのスタックに積み上げておいて再利用する、ということが書いてあった。→ 実装してみた。
  • ゲーデル関数を使い、ひとつの整数がスタック全体をあらわようにする。
    • まず多倍長演算ができるようにしないと。→ まだやってない。

Non-Puitsの編集

いっぱい記事が載せられたし、たくさん人が来てくれたし、よかったです。

いつのまにか8888Hit突破

僕にとっては、10000ヒットよりも大きな節目である。

理由を問われても困る。わんこそばの記録が88杯だからだろうか。なんというか、8888が切れ目であるという感覚は、10進数に基づいているわけで、10進数を前提にしているんなら、なんで10000をもっと大事にしないの?と問われると、つまってしまうのである。

嘘と演技

考えはじめるととまらないことがたまにある。今回もツボを刺激されてしまった。笑いのツボと同様、ここがツボである理由は、なんとなくわかるが、結局のところはよくわからない。

たいていは書いてしまうとおさまるので、書きながら状況を整理してみることにする。

a.昨日かんがえていたこと

演技しているとき、嘘はつけない。

舞台で大声で嘘を叫んだとする。聴衆はそれも演技の一部とみなし、だれも本気で嘘だとは思わない。表現の一部として、演技のなかの嘘でない部分と同様に解釈される。あれは嘘だったと言っても、それが嘘だったことにはならない。嘘だったと言う演技になるだけだ。

演技をしているときの言葉は行為の一部である。なにか言うのは、ボールを蹴るのと同じで、嘘も本当もない。

b.さっき考えたこと

a.で述べたことは、わりとかっこいいが、ほんとうだろうか。

たとえあくびをするときにも、ほんもののあくびと、にせもののあくびがあるのだ。

眠るのにも、ほんものの眠りと、たぬきねいりがあるのだ。

「あくびをしている演技をしている」とみせかけて、

「じつは、ほんとうに眠い」ということもある。

したがって、演技しているときにも、嘘をつくことができる。

c.発展

b.で述べたことも、わりとかっこいいが、ほんとうだろうか。

演技をしている演技をしている。それは嘘である。たしかに。

しかしこれは、問題を二重にしていて、a.で問われたことに真剣に答えていない。

a.で問うているのは、

演技をしている演技の中の、ほんとうの部分と嘘の部分に、差はあるのかということ。

嘘をついている側は嘘のつもりだが、観客は本気でとる。

演技なのか演技でないのか、を判断する権力を、演技する本人が持っている場合はよい。しかし、そうではない場合がある。

生活している場と、舞台に差はあるか。あまりないように思われる。

ドクター・ジグムント・カールスフォーファー・(わすれた)・アーネマコッツァン・

ポーツネル(=ドクターぽち)を演じていたときも、ぴらぴらしているときも、

基本姿勢は変わらない。

また、ぴらぴらが家族の家族のふりをしているような気がすることも、たまにある。

結局なにが演技でなにが本当か、という区別はよくわからない。

どれも、ほんもののように思われる

(ぴらぴらがいつでも似たような存在だからよくわからないだけで、

ひごろむりやり演技している人は、よくわかるのかもしれない)。

ここのところでぼんやりしていられるのは、しあわせである。

d.まとめ

わりと怪物観念っぽいあやしいものに、出会った気がする。

あやしいものがすきなのは、こまったことである。

理情のみなさま

ぴらぴらワールドへようこそ。ではなかった。逆です。温かく迎えてくださいませ。

わたしは、歓迎会の自己紹介のときに「これはたいやきです」と言っていたひとです。