試験前のぴらぴら

うどん。講義。散髪。蕎麦。長唄。野菜ジュース。古本屋。森茉莉。はんだ付け。F-の自転車を借りてオリンピックに買い出し。これからご飯、雑用、数学。

はんだ付けは、いちばん心がなごむ作業だったので、終わってしまったのが惜しいことであるよ。今夜は月がきれいです。

新古今和歌集を読みはじめた

ほとんどのものは、声に出して読むだけですいすい進めるのだけれど、これ、本歌取りが多くて、ぴらぴらの教養ではとても追いつかなく、注釈書を借りてきた。となりにもとのが置いてあるだけで、ずいぶん違う。当時の人は聴くだけで本歌を思い出したのだろう。というわけで、下のやーむらくんの質問には、「言語は言語を指示する機能もある」と返事できました。わーい。あとは吉本隆明を読んだらいいかも。

詩的私的…読了。

繰り返しの回数は、数え上げるよりも、数え下げる方が、変数の個数を節約することができる場合がある。そちらのほうが美しい…と思わない人は習慣が邪魔をしていると思う。

概念を混同することについて

言語を使っている限り、概念を混同することは不可避である。ものごと全体(集合ですらないほど大きい)の一部を指して名前をつけてしまうのだから。概念の混同を減らして、解像度の高い世界像を得ることは、世界を把握するために望ましい。しかし、概念の混同を一切排斥しようとしても、それは詮無きことである。

ぴらぴらは、異なると思われているものごと同士をわざと同一視して、洞察を得るのが好き。

Note0: 数学的対象については、話はわかりやすくなっている。

Note1: 言語は概念の指示専用の機構ではない。

地下室

ここに入るとき、ビッグバン宇宙国際センターなるところの横を通ってくる。部屋の中の鏡が見える。今日は、鏡の中で、発表者の発言にうけて笑っているMarritteさんが見えた。

ミネラルウォーターをスポンジにしみさせてはんだづけをするという贅沢。謎。とりあえず、いろいろ図面を見て、どことどこをつなごうか、考えている。抵抗ははさむのかしら。

身体と精神、自由と必然ですか。考えれば考えるほどなにか出てきそうだ。ほとんどは、問題であるように見えて問題でないんじゃないかと思うのだけれど。

夜更ししてしまった

2,000人くらいに届くメールを送った。250人くらいに届く図を描いた。何人が読むのかわかんない週記を書いている。やりかけのことの山は低くならない。しかし代謝は進んでいる。ぴらぴらは手元におもしろいものを抱えこみすぎているので、ぴらぴらがじたばたすることによって、おもしろいことを見つけるひとが増えればいいような気がする。

強く型付けされた言語でRDBMSを書いてる人はいないんだろうか。向いてると思うんだけど。

長時間起きていると咳が出る。寝よっと。朝、寝床から出られないときにかじるためのチョコレートが備えてある。ふっふっふ。

kabuAPI

こんなもの。なにが起きても知らない。

一日中画面にはりついてデイトレードしているよりは、一日中画面にはりついてプログラミングしているほうが素敵な生活だと思うのです。たぶん、デイトレードはコンピュータにでもできることですから。そのための道具です。

Alan Kay 講演

いろいろかっこいいことを言っていた。コンピュータサイエンスはサイエンスでないと思う、というのは共感できる。数学が自然科学であると言われても、なんとなく違和感がある。Susan Sontag がこんな言葉をのこしているそうな。All understanding begins with our not accepting the world as it appears. かっこいい。

肝心の、話の内容は、う~~む、その先においしいものがあるのだろうか…、という感じ。20,000行くらいで、OSからアプリケーション、開発環境にいたるまでを含んだものを記述できないか、という。記述は実装として遅くてもよくて、速くするんなら、うまくいくときには同じ効果をもっと速く生むコードをくっつければよかろう、という。

物事をシンプルに戻したいという気持ちがよくわかった。

いまのコンピュータというのは、インタフェースとインタフェースのつじつまをあわせるのに、ほとんどの時間を費しているような感じは、たしかにします。そういうわけで、

世界を変えることについて

ふだん、ぴらぴらは、世界のことなどどうでもよくて、美しい構造を転がして遊んでいれば、まぁ満足なのである。しかし、ときどき、世界が変えられるのではないかという不埒なことを考えてしまう。それは、あやしい形を取ることが多い。あやしくなってしまうのは、おそらく、この世界について、いろいろと納得のいかないことが多いせいで、少し挑発的なことをしたくなってしまうのである。

日本語の文法を説明するのに主語という言葉はいらないと思う、とか、講義の義が議でないのはよろしくない、とか、地面に近いかどうかと音の振動数とには関係はなさそうなのにどちらにも高い低いという表現を使うのは納得がいかない、とか、ふだんは意識しないけれども、考え始めてみると、くだらない不平不満がうずまいているのである。

あまりにくだらないことが自分でもわかっているので、思い出しても不機嫌にはならず、逆に元気になる。よくわからないが。

今日でた課題をさっそくやってみる。ぷつりぷつり。