演習3
最初は不可能なことをやってみたら、やっぱりできなかったので、言語仕様を縮小して、検証系を書くことにしました。ん~。最初の出来ないことをやってみる段階があると、どうすればいいのかわかりやすい。でも、そういうことはこっそりやったほうがよかったのかもしれない。ま、いっか。
最初は不可能なことをやってみたら、やっぱりできなかったので、言語仕様を縮小して、検証系を書くことにしました。ん~。最初の出来ないことをやってみる段階があると、どうすればいいのかわかりやすい。でも、そういうことはこっそりやったほうがよかったのかもしれない。ま、いっか。
小林秀雄の『考へるヒント』を眺めていたら、「スランプ」という文章を見つけた。というより、たまたま開いたところにその文章があった。
だが、やがては思ひ知る時が來た。書くとは、分析する事でも判斷する事でもない、言はば、言葉という球を正確に打たうとバットを振る事だ、と。私は野球選手ではないから、今はスランプだとは言はない。しかし(…)類推されれば、スランプは私の常態だと言ふだらう。(…)精神を集中するという事は、私にはさして難儀な事ではない。さて、さういふ事が出來た後には何をすればよいか。ただ、待つのである。何處かしらから着想が現れ、それが言葉を整へ、私の意識に何かを命ずる。(…)
これはぴらぴらの常態でもある。でもこんなことも書いてある。
(國鐵の豊田選手)「はつきりした事はある。若い選手達が、近頃はスランプだなどとぬかしたら、この馬鹿野郎といふ事になるのさ。」 (…)下手なうちなら、未だ上手になる道はいくらでもある。上手になる工夫をすれば濟む事で、話は樂だ。
ぴらぴらは、まだ話は楽である ~。
親戚の葬儀。改めて、大した方だったのだなぁと判る。
文字の入った箱の角をドラッグして、他の辺の向こうがわにまで持っていくと、文字を裏返すことができる…使い道があるかどうかは不明だが。
本気である。気になるんだけど、いつになったら読めるやら。
おひるは、瞠(みはる)のラーメン。瞠のラーメンはどんな感じかというと、
それでね、ぼくは『座ることを拒否する椅子』というのをつくったんだ。
(…中略…すると座れないんですか?)
いや、座れる。ちょうど長い山道を歩いていて、途中で道ばたのごつおつした木の根っこや、石ころの角などに腰をおろすと、かたい肌ざわりを感じるだろう。あの気持ちよさだよ。抵抗してくる 物質のよろこびある椅子なんだよ。キミも一度ぼくの作った椅子に腰かけると、その感じがよくわかるよ。人生はながながと山道を歩いて行くようなものだからね。
岡本太郎『太郎に訊け! 岡本太郎流爆発人生相談』
と、こういう感じだ。
帰って、弟と一緒にお見舞いに行った。まぁ元気そう。
弟の大学も麻疹のために休みになったらしい。とはいえ、この時期に休みにするのは、六大学野球の慶早戦を中止にしないために、早めに休みにするらしい。医学部のある信濃町キャンパスは、麻疹対策が為されているので休講にならず、またもや隔離されたと言われているらしい。慶應の夏休みは縮むらしい。早稲田の夏休みは縮まないらしい。
麻疹が怖いので本郷にはいません、と言ったら、 tadashiさんに笑われた。
医学部に入ったら、骨のでっぱりやへっこみの名前まで覚えなくちゃいけなくて、嫌だろうなぁと思っていた。たしか、なだいなだの『TN君の伝記』に、骨のでっぱりの名前を覚えてる間に世の中ではどんどん大変なことが起きていた、みたいな描写があったせいだ。
さっきのみかいで、医学部の6年生と話していたら、彼はこのまえまでピッツバーグにいたそうで、そこの博物館に行ってみたら、化石がたくさん時代を追って並んでいて、彼には、今の哺乳動物(含人間)では軟骨になっているところが硬い骨になっている、とか、首の骨の数が違う、とか判るんだそうな。それで、時代を追うごとに、だんだん現在の哺乳動物に近い骨の構成に徐々に収束してきているのが判るんだそうな。
そう聞くと、骨の名前を覚えるのも悪くないなという気がしてくる。たぶん、勉強することによって、面白いと思えるものが増えるなら、その勉強にはぴらぴら的な意義があるのだ。実用的な意義のことは知らない。