旅をしている
- 「ソーマ」っていうブランド名見ると、The Brave New Worldを思い出すなぁ。悪いものじゃないですよ。
- ためいけってたくさんあるんだなぁ。
- かんづめになると、はかどるなぁ。
- なんと、準備したTシャツをぜんぶ家に置いてきてしまった!
この前、困ったなぁと思っていたときに、友人とうろうろして、アイスバインでビールをのんで、帰り道にわかったこと。
いままでぜんぜん線形論理のunitのことを気にしていなかったせいで、忘れていた: 1⊸(p⊸p)は証明できても、(p⊸p)⊸1は証明できないのだね。というわけで、自分よりも自分が作ったゲームのほうが、演繹体系を正確に理解しているという、おめでたい事態が発覚。
教訓:
一週間ほど前まで、おいしいものを食べる夢ばかり見ていた。しかし、神保町でアイスバインを食べたり、TAKANOのケーキを食べたりしたところ、おいしいものどころか、夢をさっぱり見なくなってしまった。あーあ。
早寝早起きになった。なにしろ八合目では夕方寝て午前1時に起きて、歩きだしたのである。午後9時をすぎると、もう眠い。午前6時半ごろに、目がさめる。
筋肉痛になった。主にふともも、ふくらはぎ。降りてからそろそろ3日経ついまごろになって、楽になってきた。これによって、一度すわると立ち上がるのがおっくうになり、読んだり書いたりできる量は増えた。階段ののぼりおりがつらく、年を取るとこうなるのかもしれない、足腰は鍛えておいた方がよい、と思った。まずはせっかく筋肉痛になったので、ステーキを食べた。
日焼けした。夏らしくてよろしい。
ことしは、伊勢神宮の内宮でお祓いしてもらったり、富士山で日の出を眺めたり、天照大神さまさまである。
数学者の岡潔は、だれかとの対談で、自然科学者なんかぜんぜん駄目だと言った。自然というものが有ると信じ切っているので駄目だというのだ。だれがいつ実験しても同じはず、というのは、実験者とは無関係に成り立つ規則性が有るはず、ということで、それは自然が有るということだ。そういえば、認識主体から独立して有るというのを、実在すると呼ぶのであった。
ちなみにぴらぴらは「有る」というのがどういうことなのか、さっぱりわからない。呼べば返事がくるなら、有るのだろう。それ以外ののこと、たとえば、誰も見ていないところで木が倒れたらそのできごとは有ったことになるのか、とか、見ていないところで裏切られたら怒るか、とか聞かれても、質問がわからない。質問がわからないと言ってしまうと失礼な場合は、てきとーに答える。質問がわからないときは、たぶん、どう答えてもあとからなんとでも切り抜けられるものだ。
切り抜けられるというのは大事なことで、ひょっとすると有るのか無いのかわからない意味よりも大事だ。左の文は、ひょっとするとわからないのか、ひょっとすると大事なのか、わからないけれども、どっちでも切り抜けているからいいのだ。切り抜けているというのは、読者とやりとりをしていったときに爆発しないということだ。ソクラテスは、やりとりしていって相手を爆発させる名人だったということになっている。おなかのなかの意味は便利なもので、おなかのなかの意味を持ってやりとりすれば、たとえ爆発してしまっても、相手のどこが変態的だったのかくらいのことはわかる。まぁ、爆発すると、意味をわかっていなかったことにされてしまうだろうが。
そういえば「知っている」というのがどういうことなのかも、わからない。
知識論理の可能世界意味論では、可能な世界がたくさんある。いまいる世界はこれだ、と可能な世界たちのうちの1つを指し示すことができれば、なんでもわかる(という、可能な世界の数え方をする)。が、しかし、いまいる世界は可能な世界たちのうちのこのへん、しか言えない場合、知らないことが生じてくる。そういう説明をする。
ふつうは、知っているというのは、まともな受け答えをする、ということなのだと思うんだけど。これもやはり呼んで返事をきいてみたり、つついて反応を眺めたりしないと、わかんないんじゃないのかなぁ。
夜明け前に歩くので、おでこにつけるライトを買いました。思いつきに賛同して、よろよろだらだらとついて行くのです。高校の同い年の数人が、上の方で働いているという噂があって、遭遇するとこばかにされそうです。2,000mくらいまでしか登ったことないから、高山病になるのかならないのか、わかりません。ゆっくりだらだら登るのがいいのではないでしょうか。