イコライザ

講義室のブラインドの説明書きをよく読んでみると、「イコライザーを引くとブラインドが上がります」と書いてあって、おもしろかった。形もイコライザっぽい。

大きなゴミ箱

口が32cm × 45cmくらいのゴミ箱を部屋の真ん中に置いた。部屋のどこにいても、紙屑を丸めて投げれば、確実にゴミ箱に入る。置いて以降、片付けの進みが異様に早くなった。

本郷ですれ違う人々

  • 安田講堂と正門の間で、法学部の知り合いに出会って、「情報科学科って、Googleにたくさん行くので有名だよねー」と言われた。そんなにそれで有名なのか。てかそれでいいのか。
  • 本三から赤門への途中、Lab-Cafeの首謀者がLab-Cafeから出てくるのに出会って、「ここから出てきたってことは、まだやってるの?」と聞いたら、「当然だよ、5年〜10年もののプロジェクトだよ」と言われた。おみそれしました。すみません。

git

  • branchを切るのが軽いので、ほいほい切る。
  • bare repositoryというのは、working treeが無い。これで防げる面倒は、pushされてrepositoryが新しくなったのにworking treeは変わらないせいで時代遅れになって、うっかりそのworking treeの中からcommitすると昔の状態に逆行してしまうという面倒である。
  • subversionと違って、一部のディレクトリだけcloneすることはできないけど、submoduleというのを使うと似たようなことができる。少しややこしい。
  • zshの4.3.4ではgit merge [TAB]で補完が効かなかったけど、zsh 4.3.6 では効く。これがきっかけで、zshのバージョンを上げた。

わかんない物事だけが有る

どうなるか、わかんないものだけが、有るのだろう。

人間が生きているところならどこにでもある空気、あまりにどこにでもあるので、あるということに気づくには、時間がかかった。吹いたり吹かなかったりする風があることは、どこの誰でも気づくのだけれど。

すべてが思い通りになるなら、世界は存在しない。赤ん坊にとって、欲求を満たしてくれるか満たしてくれないか、わからないのが世界の始まり。

論理は、有るものごとたちの塊の中の、空洞だろう。数学は、壁に彫刻しているのだろう。

ほえー

午前11時に研究室で起床。少し喉がいたい。不良なので茗荷谷には行かず、床屋に寄って溜池山王へ。

  • 幾何と算術と、どっちがよりanalyticでどっちがsyntheticなのか、よくわかんない話をされた。今から思えば、完全な公理化ができない時点で、掛算入りの算術というのは、よりsyntheticなのだろうと思う。でも、Hilbert以前のころだったら、幾何の対象のほうがものっぽくて、算術の対象のほうが言葉っぽいので、幾何のほうがsyntheticだと思われていたというのは、わからなくもない。うん、言葉っぽいせいで自己言及みたいなことができて、そのせいで公理化不能になってしまうというのは、皮肉な話だ。その後、数列の収束したい気持ちを読み取ってお話しできる人の話が出てきて、syntheticだなぁ、と言ってしまった。
  • Formal ontologyとmaterial ontologyの区別というのがあって、起源はHusserlまでたどれるらしい。そのformal ontologyというのがsemantic webと仲良しで、いま流行っているらしい。Semantic webそのものは、要するにPrologで、要するにHorn節で、わかりやすい話のはずなのだけど…。
  • David Lewis: Conventionの4章と5章で、話ががらっと変わるのは、なにが起きたのだろうか。5章に大量に挙げられている参考文献を見て、なにかが起きたのだろうか。
  • おぬしpost-Griceanなのだな。

とにかく遅く登校するには

研究室に置きっぱなしの本をどうしても読みたくなって、終電で、恵比寿→品川→上野と移動して、歩いた。上野駅が終着駅の終電だったので、最後の最後に巻き込まれている気分だった。でも大学に着くとふつうにたくさんひとがいて、なんと訪問者まで来るのであった。

ちょっと思いつきがあって、明日図書室が開き次第、今見ているのとは別の本を借りて、思いつきどおりに改造できないか、たしかめてみる。ん、Springerがその本の中身を見せてくれているぞ。おぉ。

移動が多かった。

溜池山王。David Lewis: Convention読書会。ゲームの利得が決まるときに情報の行き来があるはずなのに、暗黙のうちに済まされていることが、あいかわらず、ご不満。でも250円でお昼ごはん、すばらしい。

SearleとかGriceとかの名前に慣れてきた。Searle(だったっけ)の、脳外科医の例に関して、無理矢理信念を埋め込んだときに、どういう場面でその信念を得たのかに関する記憶も同時に埋め込まないと、どうしても不自然になるのではないか、という話が出た。でもさっき夜の寝覚を読んでいたら、天人が夢に降りてきて琴を何曲か教えてくれた、と書いてあったよ。天人が教えてくれたことにすればいいんだよ。攻殻機動隊に出てくるのは、文脈も込みで埋め込む話だなきっと。技術的には、なんかまだできないぞ。

オークション理論ってスケジューリングに使えないのかな。

駒場の数学科の図書館に本を借りに行ったら、口頭試問と書いた張り紙。それで本を借りて、Independence-friendly logicとかdependence logicとか呼ばれているものを眺めてみた。こいつは適当に弱めたい。