/dev/null
なんか、言葉をあげてもお返事をなかなかくださらないものを、ありがたいと思うのであれば、/dev/nullをありがたく思ってもいいんじゃないかと思った。
なんか、言葉をあげてもお返事をなかなかくださらないものを、ありがたいと思うのであれば、/dev/nullをありがたく思ってもいいんじゃないかと思った。
仕事があるなら、暮らしやすいかもしれない。
用事があって、出雲国に来ている。迷うといけないので、出雲国風土記を持ってきた。主な用事が済んだので、売豆貴の社に参詣した。出雲国風土記で、意宇郡の神社の第三に挙げられている。看板に、祭神の下照比賣命は、初めて歌をよんだと書いてあった。ところで、千五百年前にも、蕎麦はあったのだろうか。
風土記には、どの浦でワカメがとれるとか、どの浦でマグロを捕るとか、どこにフナがいるとか、そういうことがきちんと書いてあるので、持っていると安心である。
まぁやってみればいいんじゃないかな、と思うこのごろ。たまにやりすぎるが。
ぴらぴらがいる。きのうもぴらぴらがいたらしい。あしたぴらぴらがいるのかはわからない。でも、むこうのほうからぴらぴらが歩いてきても驚かない。まぁ、さすがによのなかがみんなぴらぴらだと、あまりうまくまわらないようにおもう。
「なんのために」と聞かれると、ぴらぴらは弱い。未来も過去も幻(しかしながら、その幻のもちかたにも程度があって、他者のとらえ方と関係があるように思っているが、それはそれでまた別の話)なので、目的などというものがあろうはずもないという立場である。無いものについて聞かれると困ってしまうのである。しかし、そういうものについてなんらかの基準で適当な答えを要求される場面というのはある。ある程度頑張って考えてもどういう答えを要求されているのかわからないときには、たとえば「なんとなく」と答えることができる。あとは、「なぜ」と聞かれたときに、質問者が目的因を意図していても気にせずに、質料因や形相因や作用因のようなものを答えるというのも、一つの手段である。どちらにしても怒られそうだ。うーん。
ただし例外的に、数学とかプログラミングとかでは、「なんのために」と聞かれてもそんなに困らない。この場合の「なんのために」は、「どこで使うのか」とか「これがこうでなかったらどこがどう変わるのか」というような質問だと思って答えても、怒られない。
そうか、日常生活の「なんのため」もそういうものだと思って答えればいいのか。もちろんそのためには、過去から未来にわたる自分というものがあると思って、その全体像を思い描きながら、答えればいいのだ。
おいしい。スープが白菜味。吉祥寺の春木屋に次いでおいしい。吉祥寺の春木屋は北辰のごときものなのだが、そこを基準に見た時に、どうもかたほうにかたよっていて、気にいらなかったのだが、見事に反対側をついていてえらい。