存在しないものへの興味について

このまえ言語哲学の話を聞いていたら、言語を慣習として説明しきったら、言語は存在しないことになるという言い方をされた。AをBで説明しきったら、Aは本質的に存在しないことになる、という気分のようだ。

この気分によると、C言語から機械語へのコンパイラ(これもC言語以外で実装されている)があって、機械語の意味がわかっていれば、C言語は本質的に存在しないことになる。一般に、実装されたものは原理的には存在しない。たとえば画面に文字がうつっているように見えても、文字は原理的には存在しなくて、あるのは、いろいろな色に光る点たちばかりである。そいつらも、ほんとうは存在しないのかもしれない。やりすぎると仏教になってしまうので気をつけよう。

しかし、わざわざ実装するということは、存在するものよりは存在しないもののほうに、興味があるのである。ものに意味を読み取ってしまうというのは、存在しないものを見てしまう、人間のくせである。

Gist: 知り合いのブログを勝手に見つけてくるもの

Gistというのを見つけた。自分のtwitterのアカウント名を教えてあげると、twitter的につながっている人のプロフィールを全部あさって、RSS feedを拾いあつめてくれた。GmailのアカウントとかFacebookのアカウントとかを教えてあげても同じようなことをしてくれるらしい。ふむふむ。

知っている人とすれ違う

  • 春日のあたりの交差点で、立花氏が荷物を引いて走っていた。お気をつけて。
  • 数学科の廊下を、このまえ博士を取った先輩が、だれか先生と話ながら通っていた。
  • 数理図書室では、昔同級生だった、数学科に進んだ人が、勉強していた。
  • 数理図書室の受付では、昔高校の囲碁部の先輩だった、数学科に進んだ人が、バイトしていた。

駒場に行った理由など: 体系の筋が悪く、完全性がやっぱり無かった。血迷ってヒントを求めて数理図書館に行ってしまったが、借りた本は、暇になってから見ることになりそうだ。というのも、帰り道ふらふら歩いていると、別の方針が立ったのでやってみているのだ。

春日に行った理由など: 決定不能の会の部屋を借りるための登録をするために文京区役所に行ってみたら、これを持って銀行に行くべしと言われたが、15時を回っていて悔しい思いをした。

知っているひとにばかりぶつかるのは、活動範囲が狭いというしるしかもしれない。借りる本がかぶる人もだいたい同じだし。でもまぁいいか。

数学ガール/ゲーデルの不完全性定理

数学ガール/ゲーデルの不完全性定理のレビューということをしてみたのです。著者の結城さんに原稿を見せてもらって、さらさら眺めて、気づいたことを言いました。

指摘を機械的に適用するのではなくて、どうしてそういう指摘がでたのか理解した上で、価値判断をして原稿に反映させている様子が、よいなぁなのでした。

一度、よくある罠(メタ変数と構文上の変数の区別)にひっかかっていることを伝えました。しばらくしたら、直っているだけではなくて、説明がリファクタリングされて、短くわかりやすくなっていました。

中途半端な理解で修正すると長く複雑になってしまうものだと思うのですが、修正の意図を咀嚼した上で修正すると簡単になるのだなぁと嬉しくなりました。(このへんはプログラミングも同じだと思います。というか結城さんはリファクタリング本も書いているのか。)

そこ以外は、各章一回ずつスナップショットを見ただけなので、どうなったのかなーと楽しみにしています(10月27日発売らしい)。

本の内容は、高校生が決定不能の会をやっているような内容です。しかも結構いい部屋を借りててうらやましい。登場する数学も、決定不能の会の内容と、そうとう近いです。あと説明ののりも、「この説明を理解すれば、数学語を書ける人なら、まともな証明を書けるでしょう」くらいのところまで書き込んであるので、その点も決定不能の会みたいです。