存在しないものへの興味について
このまえ言語哲学の話を聞いていたら、言語を慣習として説明しきったら、言語は存在しないことになるという言い方をされた。AをBで説明しきったら、Aは本質的に存在しないことになる、という気分のようだ。
この気分によると、C言語から機械語へのコンパイラ(これもC言語以外で実装されている)があって、機械語の意味がわかっていれば、C言語は本質的に存在しないことになる。一般に、実装されたものは原理的には存在しない。たとえば画面に文字がうつっているように見えても、文字は原理的には存在しなくて、あるのは、いろいろな色に光る点たちばかりである。そいつらも、ほんとうは存在しないのかもしれない。やりすぎると仏教になってしまうので気をつけよう。
しかし、わざわざ実装するということは、存在するものよりは存在しないもののほうに、興味があるのである。ものに意味を読み取ってしまうというのは、存在しないものを見てしまう、人間のくせである。